みなさま、こんにちは。
バレエ安全指導者資格®︎事務局です。
今回のコラムでは、本資格が開設しました「心のサポーター with バレエコース」への想いを書いてみたいと思います。
「結果」と「条件」に縛られる若い心──バレエという世界が抱える見えない苦しみ
現代社会において、子どもや若者は早い段階から競争という枠組みに置かれることが多くなりました。学校での成績、スポーツや芸術での実績、誰かとの比較のなかで「価値」が決められる、こうした環境の中で育つ子どもたちは、しばしば「自分の存在は結果でしか認められない」と感じるようになります。
この傾向は、バレエという世界においてさらに顕著であり、より複雑な形で若者の心に影響を及ぼしています。
バレエはその美しさと芸術性が高く評価される一方で、その裏には厳格な身体的基準やスタイルへの要求が存在します。そして、その中には「生まれ持った条件」に強く依存する部分もあります。たとえば手足の長さ、関節の可動域、顔立ちや骨格のバランスなど、いずれも後天的には変えづらい要素でありながら、選抜や評価の対象となってしまうことが少なくありません。
とりわけ女性が圧倒的に多いこの分野では、「女性らしさ」や「華やかさ」といった漠然とした印象や、無意識に刷り込まれるジェンダー的理想像すら、評価に影を落とすこともあります。こうした環境に身を置く子どもや若者にとって、「努力しても変えられない部分で判断される」という事実は、大きな無力感と自己否定をもたらします。
それはコンクールやバレエ団が配信していますYouTubeやSNSでのコメントを見れば明らかです。大人ですら自身に向けられる否定的な文章は心を傷つけるのに、未成年である子ども達であったらどうでしょう。その苦しみは想像よりもずっと大きな傷となるのではないでしょうか?
このような「変えられないことで判断される経験」は、心の奥深くに傷を残します。「私は足が長くないから選ばれない」「身体が細くないから舞台に立てない」といった思いが、まるで「自分の存在そのものが否定された」かのような感覚を呼び起こします。
このことが一番に問題となる原因は、バレエの世界では比較的早い年齢で進路や将来が決まりやすいという構造にあります。近年はバレエコンクールの増加とそれに伴い海外のバレエ学校へのスカラシップによって、バレエ留学が当たり前のようになり、さらにそれらの低年齢化が進んでいます。つまりそれは、まだ心も身体も成長の途中である時期に、「もう将来は決まってしまった」と感じさせられるような体験をする機会も増えているということでもあります。
この「決定づけられる感覚」は、自己の可能性に蓋をする力を持っています。本来であれば、成長とともに変化し続けるはずの自己像や将来への希望が、「そのときの評価」で固定され、「もう自分には可能性がない」という思い込みへとつながっていくのです。
結果だけではなく、変えられない条件まで評価の対象になること、この二重のプレッシャーは、摂食障害や自傷行為、不安障害、燃え尽き症候群、あるいは「感情を感じないようにする」ことで自己を守るような心の防衛反応へとつながることもあります。
この状況をさらに複雑にしているのが、SNSの存在です。
誰もが自分の活動や見た目、実績を簡単に発信できる今の時代、SNSのタイムラインは「成功している誰か」「美しく見える誰か」で溢れています。その中には、選ばれた一瞬を加工した“虚像”や“演出された理想”も多く含まれているにも関わらず、それが現実であるかのように錯覚してしまうことが起きています。
そして、そこにある「輝いているように見える他人」と、「なんとなく上手くいかない自分」とを比較してしまう。
その結果、自分を責め、心を病み、誰にも言えずに孤立してしまう。
これは、バレエの世界に限らず、今の時代を生きる多くの若者が直面している苦しみです。
そしてバレエという閉鎖的で高圧的な環境では、それが一層見えづらく、声に出しづらく、周囲が気づきにくいという構造的な問題があります。
たとえ表面的には順調に進んでいるように見えても、「常に認められるために頑張らねばならない」という思考が根づいてしまうと、どこかでその糸が切れたとき、深い無力感や自己否定感が噴き出してしまう可能性もあるのです。
これは競争に常にされされている子ども達、特にコンクールで上位の成績を残している子や、バレエ団でプロとして踊っているダンサーの中にも当てはまる方がいるのではないでしょうか。
周囲を必要以上にライバル視してしまうことから「本心を相談できる相手がいない」
そんな声も指導者資格を通して多く耳にします。
友人が良い評価を得ること、認められることに対して素直に喜べないということも、自身もその競争の当事者であり、競争に晒されている一人の人間であることが原因ですが、日々そのような場面に遭遇する場において、それもとても苦しいことに思います。
バレエが本来持つ芸術的な喜びや、身体表現の自由、踊ることそのものの楽しさ、そうした原点は、本来誰にとっても開かれたものであるはずです。にもかかわらず、ある「理想像」や「基準」によって排除されたり、価値を見出されなくなったりする現実は、私たち大人がが再考しなければならない重要な課題です。
若者がその存在をまるごと肯定されるためには、「今ここにいること」「そこに向き合おうとする姿勢」にこそ価値を見出す視点が必要です。たとえ評価されなくても、努力が報われなくても、「あなたのままで、大切な存在だ」というメッセージが届く環境が、何よりも先に必要なのです。
誰もがプロとしてバレエ団に所属できるわけではありません。
そこには選ばれる基準があり、運も大きく左右します。
私たちの生きる世界はとても不平等であり、理不尽でもあります。
そのことをきっと多くの若者はバレエを通して体験もするでしょう。
そもそも誰もがプロにはなれないという現実的な視点を持ちながらも、未来は誰もわからないという事実もまた存在する中で、それを決定づけるのはあくまで本人であること。
周囲ができることは、その夢に、憧れにチャレンジする当事者をどうサポートしていくかということです。
バレエと向き合う人たち、それが子どもであっても、大人であっても、指導者であっても、誰もが安心して踊り続けられる環境には、「心」に関する理解と対話が欠かせません。
私たちが開講する《心のサポーター with バレエ》コースは、そうした思いから生まれました。
近年、フィジカルな側面での教育やトレーニング環境は整いつつありますが、「心の問題」についてはまだまだ遅れがちです。
心は目に見えず、傷も外からはわかりません。当事者自身ですら、その痛みに気づけないことも少なくありません。
しかし、心の問題は国家資格である公認心理師までの道のりでわかるように、専門家でない方が簡単に扱えるものではありません。
ですから、本資格が求めているのは治療者ではなく、理解者、共感してくれる人、「心に寄り添う感性」を持った人を育てることにあります。
この講座では、バレエに特有の環境や価値観のなかで起こる心の揺らぎに目を向け、心理学の基本を踏まえた上で、身近な人の心に気づき、寄り添う力を育んでいきます。
私たちは、変えられない条件ではなく、変わりゆく心の動きや、そこに込められた想いにこそ目を向けることができるでしょうか。誰かと比べるのではなく、自分の足で立ち、自分の感覚と対話する。
その力を育む場として、バレエという芸術があり続けることを、心から願ってやみません。
ぜひ一緒に学び合えたら幸いです。
みなさまのご参加をお待ちしております。
バレエ安全指導者資格®︎ 事務局
心についてのコラム一覧
『バレエという世界が抱える見えない苦しみ──心のサポーター with バレエ開設への想い』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.32
『「想い」を大切にできるバレエ指導者へ』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.31
『成長期に「痩せなさい」と言わない世界へ──摂食障害と向き合うセミナー開催に寄せて』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.29
『見えない痛みに気づくために──バレエと摂食障害について考える時間を』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.28
『比べない、焦らない、自分を育てる──バレエと心の健康のために』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.26
『「バレエを教える」ということ──これからの時代に求められる指導者とは』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.24
『瀧田先生によるアップデートセミナー感想回』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.23
『生徒の心に届く言葉を見つけるために』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.21
『あなたがあなたでいられる場所へ』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.17
『指導者として、揺らぎながら立ち続けるということ』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.9
『バレエ教師が心理学を学ぶことの意味』バレエ安全指導者資格®︎コラムVol.3