みなさま、こんにちは。
バレエ安全指導者資格®︎事務局です。
今日から3日間、『怪我』をキーワードにお話をしたいと思います。
今回のテーマは『怪我を美談にしないという選択 ─ 教育としてのバレエが守るべきもの』
もし、バレエの先生方が、子どもたちの「教育」という観点でお教室を運営されているとしたら、今回のお話はとても重要な内容になります。
ぜひ、ゆっくりと一読いただければと思います。
「痛みを乗り越えた」という物語の裏で
発表会を目前に控えた時期に、怪我をしてしまう。
その子の気持ちを思うと、胸が痛みます。
「今まで頑張ってきたのに」「なんとか出してあげたい」と、先生も心から願うでしょう。
そして、もしその子が痛みをこらえて舞台に立ったとしたら、
周囲は拍手を送り、「よく頑張ったね」「最後まで立派だった」と称えるでしょう。
その瞬間はたしかに感動的で、涙がこぼれるかもしれません。
しかし、一度冷静に考えてみてほしいのです。
その感動の裏で、私たちは何を教育しているのかということを。
美談の影にある“危険な成功体験”
怪我をしても舞台に立てたことが「強さ」として語られるとき、
それは同時に、「痛みを我慢することが美しい」という価値観を植えつけているかもしれません。
「前も大丈夫だったから、今回もできる」
そうした“危険な成功体験”は、身体の声を無視する癖を作ります。
痛みを感じても、それを口に出せない。
「我慢こそが成長」と思い込んでしまう。
それは、まさに教育としての危うさであり、子どもたちの身体だけでなく、心にも深い影響を与えかねません。
バレエは美と努力の芸術です。
しかしその「努力」の方向を誤れば、芸術は自己犠牲の美化へと変わってしまいます。
「怪我は仕方ない」という空気の中で
バレエの世界では、怪我は“つきもの”だと語られがちです。
けれど、怪我が当たり前になる環境は、教育としては決して許されるものではありません。
なぜ怪我が起きたのか。
練習量、リハーサル時間、体調の把握、生徒が「痛い」と言える雰囲気があったか。
それを丁寧に振り返ることが、指導者としての責任です。
「仕方がなかった」で終わらせるのは簡単です。
でも、それでは何も変わらない。
その瞬間こそ、次の教育を変えるチャンスなのです。
教師に求められる「止める勇気」
生徒の夢を止めることほど、先生にとって苦しいことはありません。
「出たい」という想いを否定するように感じるかもしれません。
けれど、そこで必要なのは冷たさではなく、愛のかたちです。
身体を守るために休ませるという判断は、“未来のその子”を守る最も優しい選択です。
もし本番に出られなくても、学びは終わりません。
その子が仲間をサポートする側に回ったり、もしかしたら先生のちょっとしたサポートもできるかもしれません。
踊る以外の関わり方を通して「バレエの世界には多くの形がある」と気づくことができるのではないでしょうか。
出られなかった経験を「失敗」や「空白」ではなく、「成長の過程」として受け止められるように、寄り添って導いてあげることが、教育者の使命だと思います。
美談をつくらない勇気、環境を変える責任
痛みを我慢して踊った子を“勇気ある子”と褒めてしまう構造を、私たちは無意識のうちに作ってはいないでしょうか。
そこにあるのは、先生の善意、観客の感動、保護者の誇り。
しかし、それらが積み重なっていくことで、
「怪我をしても踊るのが当たり前」という文化が温存されてしまうのです。
教育は、未来の価値観をつくる行為です。
だからこそ、私たちが伝えるべき“美しさ”は、我慢や根性ではなく、「自分の身体を大切にできる強さ」であるべきだと思います。
真の強さとは
本当に強い人とは、痛みを抱えながら踊る人ではありません。
痛みを感じた時に立ち止まり、自分を守る選択ができる人。
そして、怪我をした子を責めず、「また一緒に舞台をつくろう」と言える先生。
そんな関係性を築ける教室こそ、教育として成熟した「芸術の場」なのだと思います。
バレエは、美と努力の象徴であると同時に、人としての誠実さを学ぶ場でもあります。
「怪我をおして踊れた」という感動よりも、「休む勇気を持てた」という尊さを伝えていくこと。
それが、次の世代の子どもたちを守り、本当の意味で“美しい教育”をつくっていく道なのではないでしょうか。
バレエ安全指導者資格®︎ 事務局