みなさま、こんにちは。
バレエ安全指導者資格®︎事務局です。

今回のコラムでは、現在川崎にて4日間行われております日本国際バレエフェスティバルさまにて、コンクールの舞台を拝見し、思うことを書いてみたいと思います。

コンクール会場で思うこと

現在、川崎で開催されている日本国際バレエフェスティバルにお邪魔しています。
舞台に立つ子どもたちを見ていると、一人ひとりの個性や性格がにじみ出ているのは言うまでもありませんが、クラシックバレエという特性上、自分で振付を考えたり大きく変更したりすることはほとんどありません。そのため、彼らの踊りからは、指導する先生のバレエ観や価値観、技術や解釈、コンクールという場における作為的な意図などが自然とにじみ出てきます。言い換えれば、舞台で踊る子どもたちの姿は、その背景にある教師の姿をも映し出しているのです。(踊ること以上にそれらが見えてしまのは、衣装やメイクといった部分かもしれません)

このことは、美しい継承として働く場合もあれば、偏りや未消化の価値観がそのまま刻まれてしまうという怖さも伴います。もしも指導が身体や心に負担を与える方向へ偏ってしまったら、子どもたちの未来を狭めてしまうことさえあるのです。

では、子どもたちはいつ、どこから「自由に踊ること」を学ぶのでしょうか。自由に表現するには、気づくこと、考えること、学ぶこと、そして試し、修正する作業を繰り返すことが欠かせません。やがて親元を離れ、自立したダンサーとして、あるいは指導者として歩んでいくために、その過程は非常に重要です。

とくに大切なのは、「与えられたものを正確に再現する力」だけを育てるのではなく、「与えられたお題を自分なりに解釈し、洗練させ、新しい表現へと生み出していく力」を養うことです。その力を育めるかどうかは、教師が子どもにどんな関わり方をするかに大きく左右されます。模倣から創造へ、そこに橋をかけられる指導者が、これからの時代に求められているのだと思います。

ここで考えたいのが、子どもたちは何歳になれば「指導者の言うがまま」を卒業できるのか、という問いです。師弟関係や親子関係のように築かれることが多いバレエの現場では、生徒が成長しても「子のまま」に留まり、教師を越えるという意識を持ちにくいことが少なくありません。その関係性が強固であればあるほど、自由な表現や自立心の芽生えを阻むこともあるのです。

だからこそ、指導者自身が「先生と生徒の間にどのような関係性を築くべきか」を問い直すことが大切です。厳しく導くことが必要な時もあれば、寄り添い背中を押すことが必要な時もあります。その最適な形は一律に決められるものではなく、それぞれの先生の個性や生徒の背景によっても変わるものです。バレエ安全指導者資格の講義では、まさにその「関係性のあり方」にも焦点を当て、各指導者が自分に合ったスタイルを見つけられるよう学びを深めていただいています。

クラシックバレエは、規律と美を重んじる芸術であると同時に、偏った価値観を強化しやすい側面も持っています。だからこそ、教師がその光と影の両面を理解し、自分自身を常に学び直す姿勢を持つことが必要です。その姿勢があれば、子どもたちはのびのびと踊り、自由に解釈し、自分自身の人生にまで通じる豊かな表現力を育んでいけるはずです。

私たちは子どもたちに何を残したいのでしょうか。正確な再現力でしょうか。それとも、自らの個性を生かし、課題を解釈し、新しい美を生み出す力でしょうか。その問いに真正面から向き合うことこそ、未来のバレエ界をより良くしていくために欠かせない視点だと感じます。

コンクールの会場で踊る子どもたちの姿は、単に成果を競うものではなく、私たち大人の姿勢を映し出す鏡でもあります。だからこそ今、教師である私たち自身が学び直し、考え直し、そして自由と責任をもって子どもたちを導いていくこと。その積み重ねが、未来のバレエを、より健やかで創造的なものへと育てていくのだと思います。

やはりここで重要となるのは、【芸術とはなにか?】【バレエとはなにか?】そして【ダンスとはなにか?】という根本的なテーマへの問いかもしれません。
そしてそれは、指導者にとってだけでなく、生徒にとっても、互いが人生においてどのような存在になりえるかということ。

バレエという舞台芸術は、一瞬のきらめきに全てを懸けるように見えながらも、実際にはその過程で築かれる人と人との関係が、一生の支えや軸となることも少なくありません。だからこそ、私たち指導者は「踊りを教える人」であると同時に、「生きる力をともに育む存在」でありたいと願います。

バレエ安全指導者資格®︎ 事務局